みなさん。こんにちは。先週の木曜日から仕事で中国シンセンに来ております。
仕事場はホテル。昼休みの息抜きにブログを書いてみました。今回は一人で
滞在しているのでしゃべる人がいなくて、そろそろ口がむずむずしてきました。
かかってくる電話はついつい長電話になってしまいますね。笑。
人っていうのは「つながり」が大切なことがよくわかります。
『今日の(よかった)from 陽転思考』
■ 中国での出張 体調も崩さずに過ごせているので「よかった」
【本の紹介】
(160/365) 科学的とはどういう意味か 森博嗣著
科学的とはどういう意味か (幻冬舎新書) 森博嗣 幻冬舎 2011-06-29 売り上げランキング : 45854 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
【本の構成】
まえがき
第1章 何故、科学から逃げようとするのか
第2章 科学的というのはどういう方法か
第3章 科学的であるにはどうすれば良いのか
第4章 科学とともにあるという認識の大切さ
あとがき
という構成となっている。
【キーワード】
科学的とは?
【くまの感想】
科学的とは? この問いに明確に答えられる理系の人はどれだけ
いるだろうか? 意外と盲点なのだ。
この本は、そんな素朴な疑問、そして科学とはどうあるべきか?
を森博嗣さんが教えてくれる。
私は、森博嗣さんのミステリーが大好きである。理系チックな
ストーリーが好きなのだ。
それでいて非科学的なこともあるような殺人。
なんともこの矛盾が好きなのだ。
さて話を戻すと、最近著者が、親書を書くようになった理由もあり、
とても興味深い。
できれば名古屋大学で講義も受けたい思いである。
■引用メモ■
小説家になったとき、僕は「理系作家」などと呼ばれた。
⇒ 理系作家 面白い。このポジショニングは面白い。
著者いわく 森鴎外がいるではないか?という。笑。
■引用メモ■
時代を遡ってみても、今ほど科学が浸透した時代はない。
どんどん科学的になっているし、非科学的なものは排除される。
それは、もちろん教育の賜であるし、また情報が広く公開され
法的にも規制されつつあるおかげである。
⇒ 今が最先端なのだ。確かに江戸時代の人たちの感覚に
くらべるといや、明治時代、大正時代、昭和時代の感覚に
比べると目覚ましい進歩と、その知識が共有化されている。
■引用メモ■
科学と非科学の境界はどこにあるのだろう?
・・・略・・・
答えをごく簡単にいえば、科学とは「誰にでも再現ができるもの」
である。また、この誰にでも再現できるというステップを踏む
システムこそが「科学的」という意味だ。
⇒ 明快な答えである。納得した。
■引用メモ■
繰り返すが、実験によって確かめることが「科学的」なのではない。
⇒ むむ。これはそうだ。そうなのだ。と理系である人は思うのでは
ないだろうか? 大半の人がこう思っているに違いない。
■引用メモ■
このように、人間は大人になると(たとえ、科学者であっても)、自分
が観察したものから、ついつい「勝手に」決めつけようとする。数々
の疑問をスキップして、結論へジャンプしてしまうのだ。
⇒ 日常生活・仕事生活で垣間見るシーンだ。
■引用メモ■
このように、多くの科学はまずは自然の観察から始まっている。
実際にあるものを見て、その仕組みを理解する。そしてそこに
法則性を見出す。すると、次はどうなるのか、という未来が予測
できるようになり、また、そうした仕組みをいろいろなものに応用
できるようになる。
⇒ これは本当に重要なことだ。今最先端の技術のヒントは自然
から得られるものが多いという。やはり我々は自然の手の中に
いるだけなのかもしれない。
私の好きな理系のミステリー作家 森博嗣さんのお考えを聞くことが
できて楽しい時間を過ごすことができた。
逆に作品からも色々得られる考えがくみ取れるような気がする。本書にも
そのことが少し記載されている。
出会えた本に感謝。 いつも閲覧いただき、ありがと!感謝!
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